関西陽柳会の25年のあゆみ

   昭和53年新春、母校の日田高校が大阪・花園で開催される『全国高校ラグビー大会』に   出場が決まるも、関西における応援および支援の組織がないことより急遽   “俄か応援団”が結成されました。   これを契機に“応援団の結成”が、中学19回卒業の富安隆二郎氏のご尽力により、   同年5月に「関西支部」が結成・設立されました。    この昭和53年の「第57回・全国高校ラグビー大会」の入場風景写真がこれです。   西暦1978年1月1日の花園ラグビー場での“入場時の勇姿”です。   第1回戦の相手は、北北海道代表の“美幌高校”でした。   そして、“ラグビー応援“より4ヶ月後に『陽柳会・関西支部』の設立となりました。   参加者は約80名の方々でした。    この時に作成され、会場正面に掲げられた「設立総会」の輝く字幕と、郷土日田のポスター。    時は昭和53年(西暦1978年)5月21日で、場所は阪急百貨店特別食堂でありました。 この「設立総会」には7名のご来賓の皆様方が出席して頂きました。   この時は当時衆議院議員の広瀬正雄先生にご挨拶をして頂きました   「設立総会」その時の会場風景画です。   この画面から察するに、何となく皆様方は“神妙そうな面持ち?”のようですね!   「設立総会」で司会をされている帆足氏で、   現「陽柳会・関西支部長」の“若かりし頃?の勇姿“でございます。    そして、“今後の益々のご発展を祈念しての乾杯“です!    設立後の10年間(1979〜1989年)の活動は、   昭和54年(1079年)から昭和61年(1986年)までは   年1回、阪急百貨店・特別食堂にて「年総会」が開催かれ、   ご来賓として広瀬代議士、畑代議士、日田市長、陽柳会会長、副会長、旧先生方々が、   遠路にも拘らずおめみえになられ、日田や母校の“近況のお話し”を頂いたり、   旧交を温めながら夢多き若かりし青春時代に返り、有意義な楽しい一時を過しました。   参加者も約60名から80名の方々でした。    昭和56年(1981年)の「第4回総会」と、   昭和58年(1983年)の「第6回総会」での参加者全員の記念写真の一コマです。     そして「陽柳会・関西支部設立10周年記念総会」は、昭和63年(1988年)4月17日、   前年度に引き続いて京都の“新都ホテル”で開催され、大盛会であった。   関西支部のメンバー関係者が74名、日田からの京都見物を兼ねた陽柳会関係者等が24名、   総勢106名となり、“過去最高の参加者”となりました。      設立10周年記念総会」の会場風景です。   前年度の「年総会」に引き続き、「設立10周年記念総会」においても   石川支部長の寄贈による“舞妓さんの舞踊”が催され、京都ならではの「記念総会」となりました。       設立10周年以後、平成元年(1989年)から平成4年(1992年)までの活動は、   平成元年(1089年)4月23日に曽根崎渡辺ビルの2階“A・Gヒストリー”で開催され、   ライブパブを貸し切っての“新スタイル”での企画となったこともあり、あまりの変化に、   総合計65名参加者の一部は戸惑い気味の感があった模様。    平成2年(1990年)は11月13日に阪急百貨店・特別食堂にて   総合計60名の参加者で開催された。   平成2年(1990年)、「第13回総会」がありました阪急百貨店・特別食堂での   開催状況の“スナップ写真”です。   受付時の様子および懇親会での個別歓談の様子が窺えます。    平成3年(1991年)も前年度と同じ会場にて9月29日に開催され、   総合計59名の参加者でした。   平成3年(1991年)、9月29日に「第14回総会」があった時、   阪急百貨店・特別食堂での“女学校コーラス”の大合唱の様子です。   この時は、“うら若き乙女の歌声”が会場一杯に流れ、和やかな一時となりました。    平成4年(1992年)は、大阪駅前第3ビル“中国大飯店”にて11月14日に開催され、   総合計57名の参加者でした。    「陽柳会・関西支部設立15周年記念総会」は、平成5年(1993年)の6月19日、   「岩澤重夫画伯(中学20)日本芸術院賞受賞祝賀」も兼ね   阪急百貨店・特別食堂で開催されました。      この時は“天領日田の素晴らしい町人達”のビデオ紹介も行われ、   我々を育んでくれた“小京都日田の素晴らしさ”を感じさせられる場となると共に、   故郷への郷愁を思い起こさせられました。   この「記念総会」では、岩澤重夫画伯の“日本芸術院賞受賞”に対して、   我々一同は「陽柳会・関西支部」としてお祝いさせて頂き、   素晴らしい岩澤重夫画伯のご挨拶を頂きました。   「関西支部・設立15周年記念総会」の会場風景写真の一コマです。   皆さんが前を向いているのは、誰かさんのお話を聞いているご様子ですね?   “天領日田の素晴らしい町人達”のビデオ紹介の様子です。   皆さん方一同は一生懸命にビデオをご覧になってなっておられますね!   これは、岩澤重夫画伯の“日本芸術院賞受賞”に対して、「陽柳会・関西支部」として   お祝の花束を贈呈したところの画面です。         「関西支部・15周年記念総会」の参加者記念写真    「陽柳会・関西支部16周年総会」は、平成6年(1994年)、6月11日に   阪急百貨店・特別食堂にて開催され、皆さんが良くご存知の作曲家として、   また、NHK紅白歌合戦の大晦日の最後を飾る「蛍の光」を指揮しておられる   同窓の“宮川泰先生(中学23)”をお招きし、「カラオケ教室」をご指導頂き、   大変な好評を博しました。   前日の夜、来阪される予定が新幹線の事故で来られなくなり、   翌日の“カラオケ教室”を心配しましたが、当日の朝早くに、   「新横浜駅を出ました!」とのお知らせを受けて、”ホッ!”と致しました。   宮川先生は、平素は夜通し仕事をされますので、朝は弱いとのことです。   従って、この時は前夜に睡眠薬を飲まれてグッスリとおやすみになられたとのことを 今でも覚えております。   いつもは、茶の間のテレビでしか見るこたが出来ない大先生から、   直接に歌のご指導を頂くことが出来ました。   宮川先生は、最後までピアノの前で演奏をして下さり、会場はとても華やかでいい気分でしたね。   さすがに、“今をときめく宮川さん!“、この年は若い女性が多かったです。 これは、“カラオケ教室”で、宮川泰先生への花束贈呈後に「ご挨拶」を頂いた時のご様子です。 これは、宮川泰先生の“直接指導”における一コマです。 これは、皆で楽しんだ“カラオケ教室”で、 宮川泰先生を囲んで団欒の中に和やかな雰囲気のようですね! 何時もは茶の間のテレビでしか見られない大先生から、直接に歌い方をご教授頂きましたが、 一番印象に残ったのは、“歌は、その歌の気持になって歌うのが良い!“と云われたことです。 「関西支部・16周年記念総会」の参加者全員記念写真の一コマで、中央は宮川泰先生です。 「平成7年総会」は、6月10日阪急百貨店・特別食堂で開催されました。 この時は、平成5年に芸術院賞を受賞された岩澤重夫画伯の『卓話』を頂きました。   絵の道に入られた動機を、小学校4年生当時のエピソードで語り、 素晴らしい担任の先生との出会いが印 象的でした。 また岩澤画伯は「私を支えてくれたのは、広瀬淡窓先生の『求道之詩』です!」と申され、 “日田に生まれて良かった!”と今日までを回想されました。 この間会員は画伯のお話に共感、その画業への不屈の精神と謙虚さに、 ひとしく画伯への畏敬の念を禁じ得ぬ様子でした。 そして懇親会では、『阪神・淡路大震災』の時に頂いた同窓生の方々の励ましや 義捐金に深く暖かい絆を感謝しながら散会致しました。 平成7年は“非常に大変な年”でした。それは思えばあの忌わしい『阪神・淡路大震災』が、 平成7年 1月17日、午前5時46分に発生し、多くの陽柳会会員が被災されました。 これは、『阪神・淡路大震災』で、焼失する神戸市内のニュース写真の一コマです。 多くの陽柳会会員が被災されたため、『陽柳会関西支部より被災された方々へ個別に 「震災見舞の書状」をお出ししてお見舞い致しました、 震災の傷もいえぬ平成7年の7月29日、関西一円に“朗報”が飛び込みました。 “母校創立以来初めての甲子園出場決定!”との知らせを受けたのです。 私達は大変に慌てました。“何をどうしたら良いのか?” ― とにかく、要領を得ないのです。早速に幹事会を開きました。 そして、過去に数回、甲子園出場を経験している日田林工の方々で 経験豊富な日田林工高校関西会長の梶原進氏、長門副会長のご指導を頂き、 広友リース支店長の梶原稔氏(高校17回)の会社地下室に“仮本部“を設置して、 対策を進めました。   “試合は初日、お金もない、時間もない!”中、 早速に募金活動や、当日の会場整理、応援の呼びかけや、また看板、   Tシャツ作りの係りを決めて飛び回りました。     7日の試合当日は、“仮本部“に勢揃いし、腹ごしらえをし、 緊迫したような気持で甲子園に向かいました。”12時半、受付開始!”  四国等からも応援に駆けつけて頂き、大変感激致しました。 試合は“9対1”で享栄高校に敗れましたが、何故だか気持は爽快でした。 試合後、球場近くの茶店に入りきれない程の応援団が集まり、ビールで乾杯をしました。 この茶店に入りきれずにあぶれた人達は、 阪神デパートの屋上ビヤガーデンで祝杯をあげたとお聞きしております。 まるで、真夏の夜空に上がった花火を思わせる程で、 悔しさより“よろこび“で一杯だったような気がしました これが、その時の『甲子園出場』に関わる経緯を示す新聞報道の数々です。 この写真は、平成7年(1995年)8月7日の日田高甲子園出場を果した時に、 関西在住の関係者により急遽結成した“「関西陽柳会」の応援団”です。 これは、“同窓会の応援幟(のぼり)を持つ”帆足現支部長です。 なかなか勇ましくて元気がありますね! これは、“甲子園球場での受付風景”です。 中央は富安様と倉員様ですが、皆様方は明るくてお元気そうですね! これは、甲子園での“一塁側アルプス席での応援風景“の一コマです。 これは、晴の甲子園出場を果し、“入場式で胸を張って行進する日田高野球部”の雄姿です。   ☆それから、皆様方へお伝えするお話としては、   この甲子園出場の同じ年の7月23日、24日にありました   『京都1200年祭の山鉾巡行』の行事に、日田の山鉾が参加しました。   そして、引き山の応援に参加したことです。 次に、平成8年(1996年)から平成10年(1998年)までの活動についてお伝え致します。、          10年は『20周年記念総会』にあたり、盛大に“記念行事”を開催致しました。    この画面は、平成8年(1996年)6月9日に、   「第19回総会」が阪急百貨店・特別食堂で開催され   “情報について”    同窓の朝日新聞社専務取締役大阪本社代表広瀬道貞氏(高校5回)のご講話をされました。    この時のお話の内容で、最後のまとめの言葉として述べられた中で、これからのメディアは    インターネットの時代に移行するであろうということが“新聞人としての最大関心事”となった。               これは、この「年総会」で、“岩澤重夫画伯の乾杯のご発声”をされた時のご様子ですが    岩澤先生の力強いご発声により、総会は盛り上がりました。                             「第19回総会」ご来賓の方々。        「第19回総会」の“参加者全員写真”    「第20回総会」は、平成9年(1997年)6月15日に、“都ホテル大阪”にて開催されました。      その時のご来賓でご挨拶をされました畑英次郎代議士のご様子です。               この時は、「大分県人会60周年行事」に合流し、全体の交流を図りました。    これは、「第20回総会」の“参加者全員の記念写真”です。     次に、『陽柳会関西支部・20周年記念総会』は、    平成10年(1998年)6月**日、“浪花麦酒館”にて開催されました。    この時は、“20周年記念“とのことで、盛大に催しを企画しましたが、    郷土の誇りである”祇園囃子“を日田から招きました。      この企画をした背景には、”何か懐かしく想い出に残る行事はないだろうか?“と思案した際、    ”そうだッ! 郷土の誇り、躍動する生の「日田祇園囃子」だッ!“     とのひらめきが出てきたのです。(本荘次男氏談)    また、この時は、大石市長のお世話で服部会長以下7名 が快く来阪して下さいました。     この画面は、何故か「日田祇園囃子」が始まると、リズムで耳に、動きで目に、色気で、    心と体に焼き付けんがばかりにと、囃子に合せて踊りだした皆様方の様子です。    会場の皆さん方は“郷土の囃子”に酔いしれ、輿に乗って輪になり踊り始めましたが、    何故か「炭鉱節」の踊りでした。“何でだろ〜、何でだろう〜!!“…(本荘氏談)     次に、平成11年(1999年)から平成14年(2002年)までの活動についてお伝え致します。     平成11年は、6月13日に阪急ターミナルビル・17階にある“アジュール”にて開催され、    この時のゲストとして、メゾソプラノの石井香様とピアノの石田千代子様両先生をお迎えし、    ハイレベルの音楽会が催されました。    また、サッポロビール・大阪支社長の“ビールの美味しい飲み方“がご披露され、    場内を涌かせました。    これがご縁でサッポロビール様からは毎年美味しいビールを頂き、    会員一同有難く感謝しております。(”今後とも宜しくお願い致します!?”)     この年の8月には、日田林工高校が『甲子園出場』を果たし、    急遽応援に駆けつける一幕もありました。     「第23回総会」は、平成12年6月18日に、サッポロビール会社とのご縁で、    “ニューミュンヘン本店”にて開催されました。    先ず来賓のご挨拶では日田高校校長の岡部博昭先生は、日田高卒業で3代続いての同窓生であり、    「新体育館」についてお話を頂きました。    続いて、日田より大石市長様がご出席賜り、ご祝辞を賜りました。    また、サッポロビール大阪支社長であられます大塚様からもご祝辞を賜りました。     「第24回総会」は、平成13年(2001年)6月10日に、    “リーガロイヤルホテルNCB”にて開催されました。     この時は、岩澤先生の「日本芸術院会員ご就任」のお祝いを兼ねて、    郷里・日田から輩出された岩澤先生の栄誉を全員で祝しました。                     “大きな垂れ幕”に少々照れておられた岩澤画伯に、会員からの心づくしのお祝いに    “出席会員全員のサイン色紙”を贈呈させて頂きました。        この時は趣向を変えました。    初出席者の自己紹介の後、“一番若い大友和義さんの乾杯の音頭”で始まりました。    この時は、抽選で当選されたラッキーな方に、岩澤先生が出されている絵葉書に、    直接に目の前で葉書にサインされ、会場内は“歓喜の歓びの声”が一杯になりました。               そして会が進行する中で、思わぬ良いハプニングが起こりました。    それは“1卓1人”に岩澤画伯のサインが頂けることになり、    各テーブルで“ジャンケンポン”が始まるといったユーモラスな光景でした。    この年の総会の最後も趣向を変え、若い学年の日野正雄さんが閉会の挨拶をされ、    “陽柳会、健在なり!”の活力とすがすがしさを感じました。    「第25回総会」は、平成14年(2002年)6月9日に、    前年に引き続き大阪の“リーガロイヤルホテルNCB”にて開催されました。    例年より一寸出席者が少なかったものの、ご夫妻での出席やご同伴者二組、関東からのお客様、    そして“初出席”の方々等が多く、特長ある総会でした。    この時は、大石日田市長様よりご祝辞を賜り、    また、関東陽柳会からは初めて女性の副会長さんに出席して頂きました。    これは、その時の会場風景ですが、“ビンゴゲーム”等が催され、多くの方々に喜んで頂きました。    この時、“岩澤先生の歴史“を西日本新聞に連続して掲載された「天響水心」について、    日隈氏よりご紹介されました。    この記事を書かれました西日本新聞社・大阪支社編集長の宇野和夫さん(高校41年卒)も    壇上に上がられ、会員一同が熱いエールをお送り致しました。    また、この時は、”今宵はじめての歌“も熱唱する等、    例年とは一味も二味も違った懐かしく感じさせられた総会になりました。    以上が、これまで培ってきました“陽柳会関西支部の25年の歩み“ですが、    ここに、懐かしき”我が母校の校旗の歴史“をご紹介致します。     これは、日田高校の今    と        昔です。                 これは、日田高等女学校の校歌と校旗です。                      これは、日田中学の校歌と校旗です。                      今日の、この「陽柳会関西支部」における“25年の歩み”を契機に、    更なる皆様方のご協力の下に、全員一丸となって“「陽柳会関西支部」の発展!”に努めて参りましょう!