詩情あふれる翠の山水画
故郷・日田の自然が原点
岩澤重夫氏を悼む 
 
 
 宇野 和夫(日田高校18期)
 西日本新聞社 社友(元同社大阪支社 編集長)

本年度の文化功労者に選ばれた、われらが郷里・日田の大先輩にして
日本画壇の重鎮、岩澤重夫氏が11月7日急逝した。
大阪在任中の平成14年に連載した西日本新聞の聞き書き「天響水心」の取材の途中、
「自然が教えてくれるものは無限」と
ひたむきに風景画に取り組む動機を語ってくれた岩澤氏。
「翠の山水画家」と評される氏の原点は、
山紫水明の地として知られる郷里・日田盆地の自然にある。
日田市豆田町の生家そばを流れる筑後川支流の花月川で遊び、
古刹が眠る慈眼山や周囲の山々を毎日眺めながら育った少年時代。
「墨絵のような世界の自然が私に絵心を与えてくれた。
この日田の自然と人が私を育ててくれた」とことあるたびに公言していた。
日田の自然に似た京都府・京北町に京都市左京区からわざわざ居を移したほどだ。
岩澤氏は旧制大分県立日田中学(現・日田高)卒業後、
父親の反対を押し切って画家を志して
京都市立美術専門学校(京都市立芸術大学の前身)に入学。
在学中、大学昇格と学校の正常化をめぐって学生運動を指導、
留年を余儀なくされるという硬派の面もあった。
それでも在学中に日展に初出品した「芥子」が入選。
以来、日展出品は昨秋まで続いた。
卒業後は、京都画壇の大家・堂本印象氏に師事、
着実に自らの境地を築き、関西以西の日展日本画をリードする地歩を固めた。
平成5年に「渓韻」で日本芸術院賞受賞、12年に芸術院会員、
その後、日展常務理事など役員を多年務め、日展の発展に尽力した。
同じ日展作家で大分市出身の先輩・高山辰雄氏をよきライバルに、
「東の高山、西の岩澤。同じ大分県出身者で日展を盛り上げる」と熱く語ったものだ。
岩澤氏の作風は山、川、渓谷、滝を雄大な構図でとらえて、
瑞々しい緑色を基調に、自然の息吹を、詩情豊かに重厚に描き上げるのが特色。
「翠の山水画家」と評される所以だ。
折々に帰郷しては筑後川上流の渓流に入ってアユ釣りなどを楽しみ、
自然を題材に多くの作品をものにした。

同郷人や後輩に対する面倒見のよさは
画壇でも定評で、日展京都展や福岡展では
同窓会、同郷人グループの鑑賞に同行、
自ら解説に努めていた。

今年6月下旬開催の福岡展でも
会場の福岡市美術館で、
日田から貸し切りバス4台を連ねてきた
鑑賞ツアーの市民を出迎える姿があった。


写真は
第34回日展京都展で関西陽柳会の会員たちに、
自らの作品「春の渓」について解説をする岩澤重夫氏
(平成14年12月15日・京都市美術館)


「道(い)うを休(や)めよ 他郷苦辛多しと」で始まる、江戸時代後期の
日田に私塾・咸宜園を開いた儒学者・広瀬淡窓の「休道之詩」を
胸に刻んで、京都という他郷での苦辛を耐えてきた気骨の画家が
病魔に倒されたのが惜しまれる。
日展福岡展を前にこの夏、岩澤氏から届いた手紙に
「故郷 山川草木 我にあり」とあった。
氏の魂魄は風となって今、故郷の日田の空を舞っていることだろう。
享年81だった。