「石川忠さんを偲ぶ会」



10月2日京都ブライトンホテルで「石川忠さんを偲ぶ会」が開催されました。
主催者は裏千家千玄室大宗匠、荒巻禎一元京都府知事外京都の名士、
200名ほどの出席者で盛会であった。
千宗匠から京都御所を守り京都の伝統文化を復興させた
京都の大恩人であると功績を述べられた。
宗匠自身の思い出として
戦後エリザベス女王が京都訪問の際石川さんが指揮をされ千さんが英語で女王に挨拶した後
「君の英語も通じるね!」とねぎらわれ涙が出るほど嬉しかったエピソードを話された。
元京都府知事荒巻禎一さんは
戦後GHQ京都御所の半分を駐留軍の宿舎に提供するように指示があり
これに反対してGHQに日参して
「これを実行したら日本人の心に未来永劫 怨念が残ると」と主張し
これを取り下げさせた。
GHQも日本の中に骨のある人物がいると評価を得たとのエピソードが披露された。
荒巻さんは久留米の出身で
「私は日田の下流久留米 筑後川のそばで育ち文字通り日田の流れを汲んでそだちました」と
日田のPRをいただきました。
宮内庁からのお話で天皇が
「小さい時宮中で野球の相手をして貰い教えて貰った、ご冥福を!」
との言伝があったことが披露されました。

石川忠さんの略歴
明治41年日田で生まれた。
弁護士の長男で弟には芥川賞受賞 
石川利光氏日田高校の校歌作詞者がおられる。
日田中学1期生で福岡高校、東大、高等文官試験合格 
S15宮内省に入り終戦の勅語録音板を身をもって守ったエピソードがある。
戦後天皇の地方行幸にお供し中津から日田にはいるとき「石川 日田は遠いな!」との話がある。
S27から23年間京都御所事務所長を務め
京都の伝統文化、葵祭りを復興させるなど1世紀に渡り活躍された。
関西陽柳会発足時から会長を務められた。
去る8月12日101才で亡くなった。


昭和53年勲二等瑞宝章受章祝賀パーテイー
  石川先輩の隣は奥様。

報告:伊藤正巳